ここ数年、不寛容社会が問題になってます。
でも…よーく見てると、
「不寛容社会を否定・批判する人間」
が、その舌の根も乾かないうちに、
他者に不寛容になっていることが多い気がします。
逆に、不寛容社会を…肯定とまではいかないまでも
スルーできる人間は、少なくとも
「自分に対する不寛容さ」
に関しては甘受している場合が多い気がします。
甘受の方法は人それぞれ。
普通の人間なら「そんな考えもある」レベルで流せるような
ブログやSNSがあったとして、それを無理くりにを燃やそうとする輩が現れても、
謝罪もしなければ反論もブロックもしない「完全スルーの刑」(笑)に処すか、
ウーマンラッシュアワーの村本さんみたいに徹底的にやり合うか。
スルーは、勝手に燃えてるだけだからそのうち冷めるし、
やりあえば、熱は続くかもしれないけど、
燃やそうとしている人がまともなこと書いてるのかスカタン書いてるのかは、
そのやり合いを見ている、Twitterのフォロワー的な位置に居る人が
どっちに着くかで分かる…ってことです。
おいらなら…前にも書いたけど
「相手を肯定してから自説をかみ砕く」
なやり方してます…どちらかといえば、「村本さんよりの方法」ですかね。
あそこまでがっつりじゃないけど(笑)。
燃やさない。
でも、謝るようなこと書いてないので謝らない
(そういうことをおいらが書いてりゃ別ですよ笑
…そんなこと今までないけど)。
勿論、炎上経験はないし、Twitterなんかは
挨拶たまに書くだけだから燃えようがないけど(笑)、
ブログはじめた初期の頃に、コメント欄で激論をやったことも数回あります
(ここか違うブログかは言わない…複数ブログやってるって、こういう時にお得笑)。
たとえば「A」という事象に対して、
世間が「1」と「2」という「真反対の答え」に二分されているとして、
おいらが「1」派として記事を書いて、
それに対して「2」派の方がコメントしてきたとしても、
、前述した「相手を肯定しつつ自説をかみ砕く」で、
少なくともおいらは、10年を超えるブログ歴を乗り切ってきました。
…ま、うちの場合、そもそもコメントが少ない
「場末ブログ」なのが大きな要因でもありますが(苦笑)。
なんでこんな記事を書いたか。
ある芸能人さんのツイート…クリスマスの一コマを
書き込んでいるだけなのに、それを燃やしたがっている人がいるので…。
堂々巡りになっちゃいますが、そういう人に限って
「テメエへの不寛容さは断じて受け入れられない」んですよね。
使い古した言葉ですが「人の振り見て我が振り直せ」。
例え「誰が読んでもスカタン書き込んでいるのが分かるつぶやき」をみても
「ああ、だめだこりゃ」と思う…それだけでいいんです。
いちいちあげつらうのは、
「人のスカタン見てテメエもスカタンやってる」
だけですから。
ではでは。
他者の発言や思想に対し、不寛容であるべきことと、そうではないことに混乱があるというのは、簡単に言い換えれば、物事の善悪についての基準が、かなり混乱しているのだろうと思う次第です。
正義面さえしていれば、他人を批判しても良いと考える連中こそ、悪そのものだということですね。
「善悪基準の混乱」が情報不足や経験不足に起因するものなら、
いずれ収斂され混乱・ねじれは少なくなるんでしょうけど、
経験を積んで、テメエの論がスカタンだってのも分かってて、
なのに正しい論を誹謗中傷するのは、
ただの自己チューでしかなく…
「本当の意味の正義」と
「正義面」は全く違いますよね。
で、年を重ねれば重ねるほど
「正義面した自己チューヤロー」
が増えるわけで。
いい加減いい年になってきましたが、
そうはなりたくないものです。