1)「車椅子マーク」のある…
身障者駐車場を健常者(の車)が使っている、との苦情が急増しているとか。
「車椅子マーク:駐車場に健常者 苦情急増」(毎日新聞)
「国際シンボルマーク」(=車椅子マーク)
(「財団法人・日本障害者リハビリテーション協会」ホームページより)
うーん…。
「公」より「私」のほうが幅を利かせる世の中になってしまったのかなあ…。
見ただけでは障害者とは分からない人もいるでしょうし、難しい面もあるんでしょうが、
なかには、障害を持ってないにも関わらず、クルマに車椅子マークを貼り付けて
「偽装」している輩もいるようで。
(毎日の記事にある「ファッションでつけてる」って、口からでまかせにもほどがある…)
おいらも、若い浅はかな頃には「近いから」と駐車したことが何度かあります。
でも、考え方を変えました…というか、「発想の転換」をしました。
@:駐車位置〜店舗までを「運動」と考える
A:遠くのほうが明らかに空いているので、駐車スペースを探す必要が少ない。
B:Aと同様の理由で、近くに止めているクルマと接触する危険性も少ない。
という風にね。
荷物も出来ますし、近くに駐めたいという心理はよ〜く分かります。
しかし、身障者駐車場というのは、身障者本人の負担軽減だけでなく、
介護者・支援者の負担軽減の為に設置されている、とも言えます。
また、自分が障害者になったり、介護者・支援者になる可能性も十分あります。
そうなった時にもし、駐車スペースが健常者の車で埋まってた時の気持ちを考えれば、
またおいらみたく考え方を変えれば、遠くに駐めても何とも思わなくなるはずです。
2)名古屋高裁で…
「ペット供養寺への課税は適法」との判決が出ました。
「ペット供養は「収益事業」、課税は適法…名古屋高裁」(讀賣新聞)
まあ、致し方ないと思います。
当然、純粋な信仰心を持って開かれた供養寺もあるでしょうけど、
多くはペットブームへの便乗や、亡骸の処理のやりにくさを解決しよう
(=商売にしよう)とはじめたものではないか?と思います。
また、人間の寺院のように「困った時にお祈りする」とか「初詣」などといった、
「信仰の対象」にはなりにくいでしょうしね。
ただ、人間でいう「葬儀社」と「寺院」を兼ねている施設がほとんどでしょうし、
人間と同じように「24時間365日亡骸処理の受付をしている」ところも多くあります。
お仕事は、めちゃくちゃ大変だと思います。
去年にウチのチビが亡くなった時のペット霊園利用談の時にも書いたのですが、
人間の寺院よりよっぽどしっかりしているところも少なからずあります
(チビの時に利用した霊園もそうです)。
話が飛躍しますが、バランスをとる為には、
人間の宗教施設には課税しない、という優遇措置に対して
一般と同一にしろとは言いませんが、一定の是正が必要なのかもしれませんね。
3)身の回り
昨日は二十四節気のひとつ、「啓蟄(けいちつ)」だったのですが、
「啓蟄」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
まだまだ寒い日もあり、季節の変わり目まっしぐら、なんですが、
春の兆しが出てきました…それは……………蚊。
土曜日くらいから、見られるようになってきました。
まだ繁殖期ではない為に、人間の血を吸うなんて事はないのですが、
余り気持ちのいい春の兆しでもありませんね。
でも、確実に春に近づいている証拠でもあります。
ではでは















短い距離では歩けどね。
皆が障害者の方々が嫌な思いをしないよぅに
気遣う心を持ちたいですね。
駐車場の広さなんて、TDLくらいの規模でもない限りたかが知れてますからねえ。
おいらみたくおっさんになると、運動することが少なくなりますから、
ちょっとしたことでも活用すべきです。
ほんと、おっしゃるとおり、一人一人の心の持ちようです。
最近は、コリドールなんかも付いている場所も増えてきたので、雨にぬれたくない場合なんかも、一般の健常者が使っていますねぇ。
ちょっと想像力を働かせれば、自分がいかに卑小な事をしているか理解できそうなのに。頭が不自由なのかな?
エコとかの考えと一緒で、要は国の決まりとかよりも、そういった当たり前の事が守れるかどうかは個人個人の心の持ち方ですよね。
頭が不自由ならまだしも、頭があさっての方向に自由なのが問題なんでしょうね。
こんな輩に限って、権利意識はうるさいんですよ。
記事でもコメントでもよく使うんですが、
社会人として生きるには「私より公」「権利の前に義務」。
「滅私」出来る人が少なくなってしまいました。